朝から、保護者の方、友人が集まって、会場の準備でした。たくさんいただいたり、買ったりした花が、それぞれの場所に飾られていきます。森からは、ゆずりはの枝がトラックに運ばれて、青空ドームに届けられます。お母さんたちは、花の準備の後、思い出メモリーを見てもらいました。1年生から入学している生徒は、多くのイベントに参加していますが、3年生から転入してきた生徒は、本当に少しのイベントになってしまいました。中京高校とさくら国際高校の二つの高校から、式場祝い花も届きました。また、国会議員の義家先生、今枝先生、関 先生、県会議員の大嶽先生、また出身高校、出身中学からの祝電が届き、掲示されました。マイクのテストなども済み、帰宅したら、大きな箱と中に手紙が入っていました。

「10年前の東日本大震災の時、ゆずりは学園、そして田原市、豊橋市などの方々からいただいた野菜、どれだけ助かったことか、本当にありがとうございました」

「あれから、10年。何年もの間、たくさんの物資や野菜を大型トラックで、何度も何度も届けていただきましたこと、言葉では言い表せない思いです。あの時福島では、地震、津波、原発・・風評被害もあって、福島の人でさえ、福島の野菜を食べないような状況でした。ですから、仮設住宅に野菜を届けるとき、愛知県の野菜ですよ。ゆずりはさんからですよと呼びかけると、みんな安心とおおきな喜びでうけとってくれました」

「仮設住宅にいる間は、幸せでした。復興住宅では、仲間がなくなり、ずっと家の中で、孤独やらいがみ合いやら。悲しみと憎しみと理不尽さと悔しさばかりです」

「あの当時、着の身着のまま避難して、仮設住宅に入りました。野菜、漬物、くだものと多くの品物を毎月送っていただき、どんなにか失望と落胆の中であった私達の心を支えて下さったことか、本当にありがとうございました」

「仮設の会長さんが、ハンドマイクを片手にゆずりはさんから、またキャベツが届きましたよ。取りにきてくださいと叫ぶ光景が今も目に浮かびます」

「すべてを失った被災者の傷つき、先の見えない不安、疲れ切った心と体に、ゆずりはさんの思いがどれ程、慰められ、力になったかわかりません」

 明日は10年になる東日本大震災と38名の社会に出ていく旅立ちの日です。

中京テレビと中日新聞と東愛知新聞の取材があります。晴れてよかったです。風が少しでも弱いことを祈ります。