どんな人もいつかは、こうした形になるという悲しい、残酷な現実です。まだ余熱が残り、先ほどまで形を残していた人間が、今は骨の形で目の前にあります。その時、係の方が「この方は、とても器用な方でしたね。めったにこのような親指が形として残る人はいないです」と言われました。本当にいろいろな作品を作り、私たちにいただいた思い出が甦ります。その人が最後の形にも、こうして自分の存在を残していくのかと、人間の尊厳を深く感じました。時に雨が降り、時に太陽が姿を見せ、風に散る桜が空中に舞う、そんな天気にも似て、荒れた心と自然の中で過ごしました。

 学園にはまだ登校をしぶる子ども達もいます。連休を控え、楽しい思いで迎える子もあれば、暗い気持ちで迎える子ども、家族もいます。この体がふたつあればと思う二日間でした。

 一人一人に対応することは難しいですが、対応しなければ動けない子もいます。わがままではないのですが、気持ちが固く、動かないのを見ると、わがままにみえてしまうこともあります。

 一人の人間として、こんなにも強く、深くその存在を残す人がいるという尊敬を感じ、愛知県にと向かう新幹線の中で、小さな子供が楽しく声を出して、遊んでいます。夕方の所為もあって、車内は疲れた感がする大人の耳にはうるさいと感じるか、かわいいと感じるか人はさまざまです。

 その中で、子どもの声が高く車内に響くたびに、そちらを見る男の人がいました。高い声が苦手で隣人ともめて、事件になるケースがあります。ふと心配で見ていますと、ある駅で一緒に電車を降りていきます。親子だったのです。わが子の声が他人に迷惑をかけているのではないかと、心配する親だったのです。

 突然のテロで命を奪われ、幼いこどもを残し亡くなったお母さん。3歳のわずかな人生を終えた交通事故など、悲しい事件は、このところ多くあります。

 不登校で苦しむ子ども達は減るどこかか増え続けています。豊橋鉄道に乗って自宅に向かう車内で、ゆずりは学園のポスターを見ました。もう18年になるこの学園。まだまだすべきことがたくさんあります。

 悲しい命の終わりと、今からの救うべき命とが交差し、三河田原駅に着きました。