こうなっていくことはもうすでに、予測がついていたことです。あの状態で、全国のいろいろなところに行かざるを得なかった子どもたちです。「原発女」と言われて、もう学校には行けないという子がいました。福浦小学校は、もう廃校となっています。当時小学校5年生の子どもたち、あの日、あの時からみんなばらばらになって逃げて、1年経ったときに、福浦小学校5年生が全国から、一人また一人とバスに乗って、愛知県のゆずりは学園に着いた時、バスからは大きな荷物が次々とビニール袋に入ったまま、運び出されました。福浦小学校の先生が子どもたちにと、運び込んでくれたものです。ランドセルもあります。私たちのゆずりは学園の山やグラウンドで自然の中でのびのびと遊んだ姿が思い出されます。

 卒業式を一緒に行うことが出来ました。でも子どもたちの心の中の、悲しい、深い悲鳴を聞きとる時間はありません。再び、彼らはまたそれぞれの避難先、または福島にと中学生となって戻って行きました。

 不登校にならせてしまった現実があります。この社会があります。小泉元総理の言葉が問題になっています。原発は本当に要らないのです。一部の人の利益にしか、ならないのです。子どもたちの不登校をますます増やすことになります。