浮浪者 〜 ホームレス 〜 路上生活者

どの呼び方も 住居がない 根なし草 浮草で この呼び方は 否定的でパパさんは好きではないですが?

彼と出会うきっかけは 2月18日(土)午後6時50分 豊橋警察署である

彼は大阪から 東京を目指して歩き続けた 大阪のドヤ街〜その日暮らし 日給〜日雇い地区が キツイ人が多く住みにくいので?

宮城県で東北の震災に会い 仕事を転々としていた 宮城県を出る頃 彼の言葉だと〜100万円所持して 自殺するための旅に出る

30代半ばの彼は 新潟の花火大会を見ていたら 隣席に老夫婦が 話しかけてくれた〜所持金がなくなったら死ぬ予定が 生きることに決める

大阪のアイリン地区から 夜中旅を決して歩く 琵琶湖方面の大津を通る 雪が降る旅である

寒くて夜は眠る事はできなく 公衆トイレやコンビニなど利用して 名古屋まで行く 

スマホはWi-Fiがある場所で 地図を調べていた 名古屋市内でも笹島駅周辺で仕事を捜したが 見つからず

知多半島を辿る 放置自転車を見つけて 東京方面へ

10日間?過ぎた頃 豊橋市の国道1号を自転車で走っていると パトカーが🚔Uターンして来て 保護された

昼頃から 警察は 宿泊施設に連絡した 土曜日 日曜日は 行政関係は休日

民間のあらゆる支援者にお願いしたが 全て断られた

その時 ゆずりは学園のホームページに 引きこもり ホームレス支援を見つけ 電話がきた

私は 面談してから 決めることを伝えて 豊橋に走った

「自殺願望のひ弱な 若者を想像したが?」 にこっと笑みを浮かべていた

月曜日の8時まで 2泊を約束 〜 書類に捺印 サイン2枚 朝8時に豊橋警察署で生活安全課に連れて来ること

何日も食事してないと言う 30代の男は 意外とよく話すタイプである

土曜日のイベントの夕食カレー🍛が あった  山盛り2皿食べた

日曜日は  県道2号の三河湾沿の ゴミ拾い 森の檜の皮むき 橋作りをした

どんな作業もテキパキと動いた 私は その仕事ぶりを見て 

月曜日の朝8時で 行政関係より 私が紹介した仕事で生活できると思ってしまった

朝 警察署にゆずりは学園宿泊施設住所を記入して 引き受けた

彼も 昨夜から望んでいたので 非常に喜んでいた

豊橋市から 彼が望む 土建業者に電話した 夕方4時面接が決まった

その足で豊橋のワークマンに行き 安全靴 長靴 ズボンなどを揃えて ゆずりはに帰った

前日履歴書 写真は免許証のコピーを切り貼りして 3枚準備していた

自転車で行ける 会社は採用していい 返事をもらった

ヘルメットやロッカーは会社が 22日(水)朝7時20分用意する

彼は21日(火)に私と 近くのスーパーで弁当用の食材を買い アパートに置いた

いよいよ 22日(水)朝 7時 軽トラ🛻に自転車を積んで会社に行く予定だった

部屋から 出て来ないので行くと リュックも靴も無かった

なぜ何故ナゼ? パパさんは自問自答した 本当に私を騙して逃走したのか?

私に 本当の理由 本当の気持ちを言えなかったのか?

パパさんが 大きなお世話をしていたのか?疑問ばかりが残る浮浪者との出会いだった

私は朝7時から 車で捜したが ? 彼には彼の人生があると思っている 幸せになって欲しいと思っている

彼が「30代前半は 家族のための人生だった? 離婚して借金から 自分の人生になった?」とひと言