日本では、生きにくいと考えている人が、47パーセントいるというデータがあります。「出る杭は打たれる」経験を持っている人は、多いと思われます。先験的な意見を持っていても、その時代には合わないこともあります。

 過日、私の学園を訪問したある人が言いました。「沓名さんは、早くやりすぎたから、みんなに理解されなかったように思います。早すぎたのですよ。今、やっと不登校の生徒への理解が出来るようになったのですから」

 いや、日本が遅れているのです。

私が、もっと早く勉強していたら、もっと明確に彼らのことを理解していたら、発達凸凹の彼らにとって、もっと生きやすく、もっと彼らの才能を伸ばし、彼らを苦しめることはなかったのです。

 集団生活の中では、彼らの力を伸ばすことが出来ないのです。一人一人違うのです。そこがいいのです。平均的な、みんな同じ行動を求めるからいけないのです。先生方にとったら、みんな同じ行動をとらせることの方が、楽ですから。指導案も同じ。つまりみんな違う答えを出したら、授業はまとまらないと考えているからです。答えが違うのが面白いと考えて指導案を作ってみると、本当に楽しい授業ができるのです。日本の教育は、やはり古いと思った今日の訪問者との話し合いの感想でした。

 若い、良い才能を持っている人は、日本では生きにくいかな。テレビで、死ぬために砂漠に出かけた青年が、かなりの才能の持ち主で、世界の旅の中で、日本では友達がいなかった人が、海外では国中の人々から、友達扱いされるようになった春間青年。日本ではいじめに合い、自分を「失敗作」と感じたことから、自分らしく死ぬ方法を砂漠の中での自殺に求め、そこから、「生きる」方向に転換した実話に、今、この日本がいろいろな面で、子どもの対応に遅れが目立ち、自殺に歯止めがかからない実態を残念に思います。国が動く時が来るのでしょうか。国が日本の子ども達、青年を「生きにくい」世界から、この日本で生まれてよかったと思える方向に向かって動く、そんなリーダーが表れてほしいと思います。

 暖かい日に恵まれた今日の学園。チョコバナナ作りに高校生、小学生、中学生が取り組みました。

おいしく出来ました。バスケット場からも校舎周りからも多くの子ども達の声が聞こえます。

今日は、公立の高校の卒業式が行われた学校もあります。その中のひとつの高校の校長先生から、「うちの高校から、転校した○○君、元気でいるでしょうか」との電話がありました。一人の転校生を気にしてくれる校長先生。素敵な先生の存在を知りました。