「なぜ引きこもってはいけないのか」と突然問いかけられました。この長い間、不登校からひきこもりへの連鎖を防ぎたいと行動してきたのですが、「なぜひきこもりは負とみなされるのか」「なぜ引きこもることが認められないのか」という問いに、改めて考えさせられました。

 20代の青年、30代の青年、親は年金暮らし、でも子どもたちは20になっても30になっても外に出ていかない、親を脅し、親を殴り、時には家族を殺しといった問題に多く向き合ってきました。また仲間がなく、部屋にひとりいる若者たちを見てきました。「そんなに苦しむことなく必ず生きる道はあるから」と支えてきました。うつになったり、自傷行為に走る子どもたちを見てきました。

 だが、ふと「ひきこもる時期も大切だ」と答える時もあります。「自分を見つける時が必要だから」学校に行かず、家にひきこもる大切さを伝えるときもあります。

 でも本当に長い時間、年数を自分だけの部屋で、家族とも話さず過ごす生活は、やはり何とかしたいと思います。こうした場合のひきこもりは、本人にとっても家族にとってもやはり苦しいと思うからです。一人でいる方が楽しい人も当然います。しかし、社会の中に、あるいはひきこもる人々が100万人いるのなら、その人たちばかりの社会を作り、その中ならお互いに気を使うことなく過ごせるようなそんな社会を作ることが必要だと思うのです。

 今回私たちが作ろうとしている「ゆずりは横丁」は、大きな社会の中の、小さな社会のコミュニティガーデンです。子どもたちが青年たちが自分らしさを見つける場であってもほしいと思います。全部のひきこもりを否定するのではなく、楽しいひきこもりなら、充実したひきこもりなら素敵です。