12年前に私が立ち上げた時は「フリースクール?何ですか。それは」と言われた当時でした。また精神科の医者の診断名も「不登校」とつき、「発達障害」の名前が新聞紙上に出るようになったのは、発達支援法が出来たことも大きかったです。NPO法人化した2008年当時も、法務局の人への説明に、「フリースクール」の名称が法律の中にないということで、随分大変な時期を過ごしました。またいじめ自殺で苦しむ家族にも、自殺を伏せるように動いた学校現場の実態など、多くの人々のさまざまな思いがあって、「死ぬくらいなら、学校に行かなくていい。」と不登校の子どもたちを、少し理解出来る周囲となっては、来ましたが「何故、学校に行けないの?なぜみんなと一緒に過ごせないの?好きな時に好きなことだけして、わがままじゃないの?」と思う社会はまだまだあります。ゆずりは学園に通う子どもたちを見た訪問者の人々が、よく言われます。「なぜこの子たちが学校に行っていないのでしょうね」

 「学校だけが居場所ではない」と思います。でもはっきりと言えることは、彼らのこの時々の、つまり小学生には小学生の、中学生には中学生の、高校生には高校生の、大学生には大学生の、そして青年には青年の居場所がなければならないのです。そして中学卒業後、一度に社会に出ていかざるを得ない、中学までの不登校の子どもたちが今そうした行政や社会の隙間にあることが、大きな問題になっています。

「ゆずりは学園に通える子はまだいい。こうしたところに通えない子どもたちがまだまだいることが問題」という言葉も、多く聞かれるようになりました。

 一人でも多くの子どもたちを何とかしたいと思います。ひきこもりの人の年齢も、40代になるとなかなか「もうそっとしておいてほしい」と言う家族の思いもあり、社会へ出すことも困難になります。「今、この時しかない」の思いがいつもあります。「必ず道はある」と思います。