「生きていて何が楽しい?」

この言葉に、答えを探すと、人によってみんな違うと思います。私は、目が見えます。だからこうして、ブログも書けます。テレビも観られます。学園祭の地方ニュースも観ることができました。本からも多くの情報が入ります。発達障害は病気ではなく、そして成長が見られることも、子ども達と向き合うことでわかりました。「生きていてすべて、楽しいことはありません」

 戦争のない時代に生まれました。戦後の食糧難は経験しました。だから、今の時代がどんなに幸せかを話すことは出来ます。でも、多くの人は「ふーん、そんな時代もあったんだね」と言うだけでしょう。福島の原発事故の後を6年と言う少しだけですが、支援出来ました。その中で「息をしていないけど、生きています」の言葉は今も忘れられません。

 あの当時、もう二度とこの施設に救助の消防士が入らない、原発事故直後。生きている患者はヘリコプターに乗せて早くこの放射能汚染地域を出ていくその時。もうすでに息を引き取っている一人の人を、このままおいていく判断を消防士がしたとき、看護婦さんが「今は息をしていないけど、生きています」と言った言葉です。「分かりました」とヘリコプターに乗せたのです。

 想定外の言葉にも、思うものがあります。あの津波は「想定外」でした。

そして、今九州の雨と油も「想定外」です。津波は自然災害です。雨も自然災害です。でも、原発も油も人間が考えれば、もっと防げたことなのです。

「想定外」は私は人間の考えの未熟さだと思います。あの町すべてに水と油が漂っています。想定外の言葉は、あまりに無責任です。泥水だけだったら、まだ解決できる時間は短いけど、そこの油が入っていたら被害はかなり大きくなります。、あの原発の放射能がなければ、福島はこんなにも多くの被害を被らなかったのです。いじめも同じです。「こんなことで自殺するなんて思わなかった。」葬儀に笑って参加した仲間たち。認知症が進み、介護の施設に入所していた母が、心臓発作で亡くなりました。その葬儀に介護の施設の方々が、棺の中を見て笑っていた姿を今もわすれられません。

 子ども達の自殺がなかなかなくなりません。では、自殺は想定外でしたか?「死ねば」という加害者。結果、死にました。「本当に死ぬとは思わなかった」と答えました。

 人の心は、もろいものです。ガラスのように、少しの衝撃で壊れてしまいます。

学校現場の問題点を発信したことで、現場の先生方がこのブログを見たら、「そんなことを書くな」ときっと思うでしょう。でも、職員室でいつも生徒のことを馬鹿にして、笑っていた先生もいたということ。大学を出て、すぐ「先生」と呼ばれ、学ぶことも勉強することもなく、「先生」という職業に座っていた先生もいたという事実。荒れる学校現場に多くの保護者の方々が来て、授業参観。その後の保護者の方からのアンケートには、先生方をほめるアンケートばかり。

 「このアンケートは全部ですか」の私の質問に「全部ではありません。先生方は沓名先生ほど。強くはありません。全部を出すと、学校に来られなく先生が増えるから、多くはアンケートを破棄しました」の答えでした。事実を伝えるのは、いつの時代も確かに難しいですが。

告発本の「医者が教える、過激ながらも大切な話」という内海 聡先生の告発本を「精神科は今日も、やりたい放題」読んで、早くこの本に出会っていたら、私は生徒を自殺させずに済んだのにと新たな悲しみと後悔です。

 「生きていて何が楽しい?」私は、あなたの大切な人生を奪ってしまった。生きていてまだあなたのような生徒を出さないために、残りの日々を生きていきたいと思う。