私の住む地域では、火事の放送があります。サイレンの後、「火事は・・・関係分団は出動せよ」の住所は私の住所の二つ横の家です。急ぎ、車で自宅に走ります。住宅密集地です。風は強くはありませんが、西風ですので、私の家の方に向いて吹いています。何が燃えて困るか、どこまでを持ち出せるか、書類は学園にほとんどがあります。生徒のは大丈夫です。法人の印鑑だけは持ち出したい。衣類、家具、通帳、後少しで自宅というところで、「鎮火しました」の放送です。家の周りは、放水車、警察車両、消防車、人だかり・・・きな臭い匂い、車も家までは無理です。ブルーシートの中をその家の人が運ばれていきます。たまたまヘルパーの方が訪問で、火事を早く見つけたことが幸いでした。救急車の出ていく音、一人暮らしで、もう奥様も亡くなられています。「寂しくなった」と言われていたのも5年ほど前のことです。

 いつ、どこで、何があるのか・・・もし火事事件があったなら、卒業式をどう乗り越えるか、また考えることになります。

 急ぎ、また学園にもどります。30分しかありません。農協のグループ、ゆずりは学園に応援してくださる方のところに、お花を取りに行く時間が迫っています。学園に着き、すぐその場所に向かいます。軽トラックで、来たその人が「先生、小学校3年の時に教えてもらった・・・です」と言われました。わずかな面影があります。41歳になったとのこと。多くの人々が支えてくれています。

 それにしても、在校生なし、来賓なし、またしばらくして保護者なし、そして会場なし、再び保護者参加、変更につぐ変更、そして今日は雨が降るとか、自然もそして今回の感染対策で学園の休校など、多くの企画が崩れては再構築。でも卒業式が出来るだけ幸せです。

 式次第などのプリントは、もうすでに完成、セットしてありますので、そこまでの修正は難しいです。当日も時間短縮などの方向で、すべてが今までと大きく変わります。

 それでも、卒業生、保護者の方がほとんど出席です。三河湾からの風がどれだけ吹くか、風邪をひかないように、式の進行をしなければなりません。