今日の中日新聞の5面「三つ子事件、なぜ実刑」の記事から、思うことが多くあります。

「橋からわが子を投げ捨てた」「母親が遊ぶために、三日三晩家に帰らず、赤ちゃんを西日の当たる狭いアパートの部屋の放置、脱水症と熱射病で死なせた」「父親の虐待、わが子に食べ物を与えず、風呂場で冷水をかけて死なせた」「トイレが出来ない4歳の子に・・」「アパートから子どもを投げ捨てた」・・・そして「豊田の三つ子事件、二男を畳に投げ捨て死亡。懲役3年の実刑」と親と子の多くの事件が今も多くあります。

 2006年私たちが本の泉社から出版した「もうひとつの家族 ドアのない部屋から」からあまり社会は変わっていないと強く思います。

 私にも3人の子どもがいます。教職時代、毎朝早く家を出て、毎晩遅く家に帰る日々でした。育児休暇、産休のない時代でした。長女の生まれた時代、45年前です。当然、当時の子ども達とゆっくり遊ぶ時間もなく、通知表を書く時期に、当時一歳の長男が入院、時間のない中を、病室の電燈を消し、わずかな灯りの中で書いた通知表。入学式、卒業式もすべて同じ地域ですから、職場の入学式、卒業式に参加するため、どの子の入学式、卒業式も参加したことはありません。運動会も学芸会もすべて一度も観たことはありません。子どもにとっては、母親らしいことは出来なかった日々でした。でも、子どもは夜熱を出します。深夜病院に運びます。

 そんな中を、家族がいたからこそ、家族の支えがあったからこそ、子どもを殺さずにすんだだけで、一人で育児をこなす「ワンオペ育児」だったら、とても難しいことです。 私には家族が支えてくれていた。子ども達の行事はもちろん、大学で県外に住む子どもたちへの支援もすべてパパさんが早期退職していたから出来ました。まあパパさんは世界38か国のスケッチ旅行も子育てが終わった後は、のんびり楽しめましたが。子ども達が小さな時は、両親とも教育現場でしたから、同居する父、母の協力がなかったら、本当に子どもを育てることは難しかったです。

 「わが子が愛せない」「わが子と一緒に暮らすのは嫌だ、出ていけ」母性は本能ではないです。無理な時は、周りに苦しいと本音で言える「もう一つの家族」でありたいと思います。家族に支えられていたから、今があります。学園のもうひとつのママさん、パパさん。「もうひとつの家族」です。