自宅から始めたフリースクール、モデルは北海道北星余市高校。職員室の先生と生徒の区別が

全くなかった新鮮な形。

 そこからスタートした「もうひとつの学校」です。コロナ禍で、またまた卒業式も室内の大きな文化会館から、屋外の駐車場での卒業式。二度目の青空ドーム卒業式です。

 お花の手配も終わりました。安く売ってくださったり、無料で下さる花やさんもいます。バラを下さる方は、「お金は要りません」と早くから、申し出てくださいました。菊を作ってみえる方も、「取りに来てください」と言われます。また、中学や小学校の教え子からも、「先生、よろしければ使ってください」と電話があります。

 ゆずりは学園の卒業式は、毎年、子どもから親に感謝の花束を渡す時間があります。

たった、「ありがとうございました」の言葉が出る生徒もいますが、その一言が言えない生徒もいます。

感謝の言葉は、命令や指示で言わされるものではありません。家族の中の細かな空気はわかりません。でも、このような卒業式は、やはり素敵だなと、思います。

教育現場でも、卒業年次を持つと、いつもこの形を取ってきました。それが、斎藤喜博先生がやられてきた卒業式と同じだと知った時は、本当にうれしかったです。

 がむしゃらに進んできた日々。

今、保護者の方から、生徒からと、手紙が届きます。

20年間のまとめとして、発行した「海と森に囲まれたもうひとつの学校」にも、多くの生徒たち、保護者の方の文章が載っています。しかし、機関紙もひとつのまとめにした今、ブログの形で、気持ちの核心だけ、次回から載せていきますね。

 今日は、椎茸を収穫。またゆずりはの森の120メートルほどの、池の周りに生えていた「ふきのとう」も収穫。フリースクールの土地にも、多くのふきのとうが生えていた時もあったのですが、工事が入り、全滅してしまいました。ふきのとうもやや、時期が遅くなっていましたが、早速「ふきみそ」を作りました。

自然も環境も変わりますが、人の気持ちだけは変わってほしくないと思います。

 実の母を「殴ってごめん」と言っていた少年が、「ママさんが作ったふきみそを、お母さんに持っていく」と、今は優しい青年になっています。母は一人です。