東日本震災支援を続けて4年目に入りました。この6月に仲間たちと一緒に、郡山市のセントポール幼稚園、福島市の若枝幼児園、南相馬市の原町聖愛保育園、石巻市の雄勝町仮設住宅、飯野川校仮設住宅と3泊4日の日程で訪れてきました。野菜、木の玩具などをそれぞれの保育園、幼稚園にプレゼントしてきました。新鮮な野菜を直に届けられるのも、本当に喜ばれることですが、年月が増えているにもかかわらず、復興とは程遠い福島を見てきました。小さな子どもたちが、教室の一角に集まって遊んでいます。運動場側は放射線量が高くそちらにはかばんを置き、少しでも線量の少ない教室内部で遊んでいます。床を毎日3回以上拭いては、子どもたちの安全を守ろうと必死の状態です。石原環境相の「最後は金め」の発言を聞くと、環境の確保こそ、どれだけお金をかけても当たり前の状態なのに、軽く話す大臣の失言ではなく、彼の本心に強い不信感やら、憤りを感じます。子どもたち、住民の人々の近くには、汚染された土などが入っている黒い袋が長く、長く置かれています。そんな環境の中に、もう4年目に入ろうとしています。

 大川小学校にも立ち寄りました。記念碑がありました。観光地としてではなく、学校の対応のまずさで亡くなった子どもたちがここにもいます。人災と天災がここにはあります。私達が直接支援しているのは、原発からの避難仮設24か所のため、他の県より復興とはまだまだほど遠いのが現状です。いつまでも忘れないと同時に、何を国が出来るのか、日本でまだ苦しんでいる人々の置かれた現実を改めて目の前にした福島、宮城の旅でした。