昨日、大学時代の友人からメールです。今テレビで、崋山先生の美術館をしてるとの情報です。田原藩では、崋山先生の農民が一番大切、藩主は農民が働いてくれているから、贅沢な生活が出来る。そして報民倉の米を田原の農民に分け、田原からは一人も餓死者も出さなかったと言う大飢饉での話。テレビの後、徒歩で数分の所にある崋山先生の蟄居の場所を訪れました。自分の描いた絵を売っていたことが藩主に迷惑をかけることを考え、自刃された小屋などを見に行きました。
  小屋は、年々老朽していきます。崋山先生の遺体が安置され、江戸からの検視を待っていた木桶はもう形も無く、割れた酒の徳利とぐい呑が見えます。
 蛮社の獄 など、蘭学の重要性を説き、多くの絵を残した49歳の短い生涯の崋山先生。今のコロナウイルス対策に揺れていた私ですが、先人の知恵をもう一度考えなければと、少しの散歩をしました。
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