生きているのは、辛いです。「死にたい」と言います。

眠れないから、薬は自分のすべてです。大量に飲むことを恐れるから、周りが預かろうとします。でも、それが難しいです。

 「これは自分のすべてだから」と言います。

深夜に押し問答をしていたため、パトカーが来ました。

私達も尋問を受けます。

「入院して楽になりたい」と言います。やさしい先生が診てくれたらと言います。

薬をたくさん飲んで、救急車に乗ります。

近隣の病院は、運び込まれるたびに、すぐ帰されるようになりました。

県外の病院に行きました。でも意識がもどると「ふつうの人はこんなに飲まない」と言われました。

「ふつう」の言葉が、ずっとこの青年を苦しめてきたのです。

「ふつう」ってなんだ。「ふつう」じゃない。他の人と同じ「ふつう」になれないのか。

ここでも、押し問答になってしまいました。

保健所も、市役所も、土曜日はやっていません。この青年を土曜日に対応できるのは、民間、個人です。行政に文句を言っても仕方がありません。でも、命はたったひとつです。

「何とかしてあげたいのですが、会議で個人への対応は限界がある」と行政の人からのメール。

今回も何とか命は取り留めましたが、青年の苦しみはまだ軽減されていないし、解決もできません。大きな青年のケースでも、こんな状態です。4歳、5歳の子どものケースでも、児童相談所、市役所、保健所、警察など、それぞれに課題もあります。

 深夜に家に帰りました。いつまでこうした支援ができるのか、体力との勝負も課題です。