好ましいのは、家族が味方であって、自分を守り、自分を支え、家にいて落ち着き、早く家に帰りたいといった家族の形。でも、家にいるしかない子ども達、青年たちにとって、家族は見方でもなく、自分の挙手挙動をいつも見張る人であり、時には家族が自分を殺す他人になったりします。

 いつ、どこから自分を襲うかも知れない恐怖、そこまで至ったのは、家族にとって、長い日々があったことを知っています。家族として、父として、母として、どんなにがんばっていたか。それでも、子どもは自分を理解してくれない、また家族としては、どうしても理解できない面があり、家族だからこそ理解できないことがあります。家族だからこそ不幸だったこともあります。見なくてもいいこと、聞かなくてもいいこと、家族だから密室の空間で、他人にはわからないことが起きています。時には、虐待であり、10歳の子どもが家族に毎日脅され、寝ることも食べることも許されず、結果殺された悲しい事件は、家族だからこそ、行政の手も入らず、毎日苦しめられて死んでいった事件は、今もどこかで同じようなことが起きているのです。

 家族とは、本当に難しい問題です。「私の家のことです。口出ししないでください」と言った言葉は、正しいのです。でも、時には、口出ししないと、おせっかいおばさんがいないと、大きな悲劇になることもあります。「距離を取る」ことが大切です。「隙間を作る」ことが大切です。そこに他人を作ることが大切です。家族以外の「信頼できる他人」がいると救われるケースもあります。

 このごろ、毎日のように電話がかかります。ゆずりは学園を出て行って、もう10年以上経った人から、またこの間出て行った卒業生からと。相手があるケース、自分の心の重い課題、対応は違いますが、相手が家族である場合は、時間の余裕もなく、何をするにも支えてくれないすべてがマイナスだからこそ、一番難しいケースになるかも知れないと思います。