真面目です。器用です。やさしいです。だから、人に頼まれても「いや」と言えません。頼まれたことをやると、「おまえって本当にお人よしだなあ」と言われます。「それって馬鹿にされているのですか」とまた、不安になります。「誰を信じたらいいですか」とまた迷います。迷うから、また聞ける人を探します。「そんな年齢になって、まだ分からないのか」と言われます。「こんなことも分からないのか」とまた言われます。

 自分に自信がないです。「あなたはやさしくて、仕事も丁寧で、あなたはあなたのままでいい」と私はいつも言います。でもと青年は答えます。「そう言ってくれるのは、沓名先生だけです。他の人はみんなぼくを馬鹿にします。孤独が怖いです。」いい青年なのですが。

 いろいろな人に聞きますので、そのたびにいろいろな意見を言われます。すると、また迷うのですね。ひとつの言葉が気になります。「気にしないで」と言っても、それは難しいのです。気になるのですから、そのことを取り上げても難しいのです。小さな音が気になります。大きな音は苦手です。人の目が気になります。人の目が怖くなります。人が触ったものは触れません。すべてがこのように、気になり、そこから脱出は出来ないのです。でも、他のことに興味・関心が行くと、少し気になる度合いが少なくなるのですが。生きる目標を持つと改善方向に行きます。

 失敗することが怖いです。だから、責任転嫁をすることが多い人もいます。「これは俺が決めたのではない。お前が決めた。だから決めたお前が悪い」と母親を責め続けた人もいます。人間は失敗から学ぶのだと、私は思います。科学者の方がたも言われます。なぜこうなった、なぜ失敗した、そこから真実が、事実が検証されて出てくる・・でもこうした個性ある人たちは、「失敗したのは、お前がこう言ったから、お前がこう言わなければ失敗しなかった」

 失敗してもいいのですが、人間だものと言っても、ミスが怖いのです。人に馬鹿にされるのが辛いし苦しいのです。一言、一言が分からないと言います。病院に行くと、多分「では薬を出しておきましょう」となるのです。本来このような人は、病気ではないのですから、薬は効かないのです。賢い人が多いですので、「病院には行かない、俺は病気ではない」と言います。プライドが高い人も多いです。でも生きにくいです。自分に自信を持ってほしいのですが。