暖かい日に恵まれました。海からも風が吹いてきません。駐車場に置かれた椅子。受付を終えた生徒が、コサージュを付けて、座ります。遅刻もなく、全員が席に着いた時、早めにスタート出来ました。

3月11日、東日本大震災。初めて同日の式になりました。黙祷から始めました。パパさんが、6年間の福島への支援を話します。次は、証書授与に移ります。保護者と一緒に証書台のところに来ます。

一人ひとり名前を呼び、渡します。いろいろな思い出が浮かび上がります。

 20年前にこの海と森に囲まれたもうひとつの学校を作ったのは、「先生、俺たちの気持ちを分かってくれ」の生徒たちの叫びでした。

 中学校では、先生を殴る、ガラスは割る、廊下を自転車で走る子ども達が一人また一人と増えていき

その動きが近くの学校に伝染していき、渥美半島中の中学校が荒れていきました。

荒れるのは、子ども達が悪いのではない、私達教師が子どもの気持ちを理解しないのが原因だと、今も思います。20年経って、ますますその思いは強くなります。

豊橋鉄道に飛び込む危険があり、パパさんと線路の上を歩いて、生徒を探したことも大きな、もうひとつの学校を作った原因でもあります。追い込んだから、彼は逃げたのです。ゆずりはの森で、行方不明になった生徒を探したこともあります。呼べば呼ぶほど、森の奥に逃げていく。押しても、強制的に追いかけても、子ども達の心は逃げていきます。

 好きで、家の中にいるのではありません。好きでゲームをしているのではありません。好きで親を殴るのではないことなどを話しました。「母さん、俺の気持ちを分かってくれ」と叫びます。

 警察にも何度も行きました。拘置所にも行きました。涙する子ども達を何度も見てきました。

でも、ここで私が子ども達を見捨てたら、この子たちの人生が違う方向に行ってしまいます。

ママさんは、どんな子も見捨てない・・・高校卒業資格はまだまだこの日本では必要です。

 青空ドーム卒業式。思いはいつも同じです。今年も生徒を死なさずに、卒業させることが出来たという思い。袴姿の女生徒が今年は多く、華やかな卒業式でした。

 生徒の出身中学、前籍高校からの祝いの文も届きました。辞めさせた学校も仕方ない校則の縛りがあります。自由だからこそ、見捨てないことが出来ます。

 社会に出れば、いろいろなことがあります。壁に突き当たったら、乗り越えてほしい。元気でいてほしい。苦しいことがあったら、いつでもメールでも電話でも連絡してほしい。ママさんは、誰も見捨てないから。38名の卒業生が社会へと出ていきました。