日本語、英語、スペイン語を話し、その知識力が多いがために、この日本ではみんなと同じものを強要されて、「なぜ、先生の言う通りにしないのか」「なぜみんなと同じものが出せないのか」とダメ出しの日々。小さな学校なら、僕の意見を聞いてくれるかなと、少数の学校に転校。でもそこでも、「ゆずりは学園に行ってもいいけど、週に1日だけ。他の5日はこの学校にという制約。でも前の学校よりかは、ましだから」とその学校に転校。そしたら、父親の勤務先で、ドイツ行きの話が出て、日本の教育に辟易していた父親がドイツへの引っ越しを決定。

 ゆずりはの森の中で、まるでロビンフッドのように、水の浄化器作成に取り組み、火起こしに取り組み、本を読み、研究し、自分の考えを話し、「お母さんは黙っていて。僕は自分でママたちに意見、考えを話すのだから」と話してくれた日本の学校での「個人」の意見を聞いてくれないこと。

ゆずりは学園での2年間は、まるで水の中で泳ぎだした魚のようでした。小学生1年、2年、3年、4年と言う年月での彼の成長。実に能力が高く、自分の意見をはっきり述べ、それはスペイン人の父の雄大で包容力の深さなどからも理解できることばかりでした。

 「二度目の冬がもう来てしまいます」と始まったお母さんの手紙に「ゆずりはでの経験がなければ、今の子どもはありません。一番つらかった時期の子どもを受け入れ、救ってくれたのは、まちがいなくゆずりは学園です。2年弱ではありましたが、子どもにとっては宝物の2年となりました。今でもよく思い出しては、あーゆずりはに行きたいと口癖のように言っています。パパさんと山の中で楽しんでいた姿が恋しくなります。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました」

 スペインにも小学1年から何度も一人で往復していた彼です。「ドイツ語・・お母さんには難しいかも知れないね。でも僕は平気だよ」の言葉通り、ドイツでの学校生活を満喫しているのが手紙からわかります。多くの子ども達の居場所になってほしいですね。

昨日の14日。私の72歳の誕生日でした。新城にもうひとつの居場所作りの説明会の後、スタッフ、生徒達が花束とケーキのサプライズで祝ってくれました。卒業生まで参加。幸せです。そしてその日に届いたドイツからの手紙。

 新刊本「海と森に囲まれたもうひとつの学校」を読んだ感想が届き始めました。これもうれしいことです。