インターネット ウエブサイト なんて、パソコンで遊んでいたら、2010年のフィリピン旅行の動画が出てきました。マニラの孤児院を訪問して、そこで500人の子供たちに、文房具や衣類を持って行った修学旅行、孤児院での様子、またそこでのフィリピンの子ども達とダンスをする私、子ども達と手つなぎ鬼をして遊ぶシーンが、まるで昨日のように動画で観ることが出来ました。ゆずりはの森での焼き物の窯作りをする動画、1000度までの3日間の焼き物、陶芸の世界などが映し出されていました。

 さらに、「ゆずりは」のホームページから写真とかいろいろなところをクリックすると、私達とは関係のない「ゆずりは」の写真なども一緒に出てきたり、インターネットというか、ウエブというか、ある意味、懐かしいし、ある意味、怖いなあと思いました。

 10年前の私は、まだまだ元気でしたね。

今回、「テレビを観ました」とか、新聞を見て本の注文が来たり、また本を読んだ感想が京都から届いたり、静かに年の始めの休日を送っています。

 ゆずりは学園に用があり、教室にいたら、1台の車が入ってきました。

「本のことが中日新聞に出ていたので、買いにきました」と言われます。

聞くと、あのデンソー社員50名の中の一人でした。デンソーの人々との、日本ど真ん中祭りの踊りは、子ども達、生徒たちも仲間に入れて下さり、本当に元気で、活躍している方々との交流は、大きな外からの交流、外からの風でした。しばらくお話をして、帰り際に「あのゆずりはの山に登ってもいいですか」と言われます。しばらくしたら、リュックを背負い、靴の紐を結びなおした姿で、ゆずりはの森へと歩いて行かれました。

 

10日はゆずりは成人式です。卒業した子ども達から、「結婚しました」「子どもが生まれました」といった便りが届いた年賀状。卒業生を一人、家族から「成人式くらい出たら。学校も行かず、働かず、せめて成人式くらい出たら」の言葉で、「僕が家にいたら、お母さんに迷惑をかける」と言って自殺してしまった卒業生。優秀な生徒でした。器用な生徒でした。まじめな生徒でした。そのことから、ゆずりは成人式を始めました。成人式で子どもを死なせてはいけない思いでした。

 コロナ禍では、難しい状況です。でも、何とか子ども達を守っていきたいです。

どうぞ、皆様も今年1年、良いお年をと願います。