自宅で始めたフリースクールでした。学校現場が荒れていて、落ち着いて授業が出来ない校内暴力があちらこちらの中学校で起こるようになった時代でした。せっかく学校に来ても、校内に入れなく帰される生徒、忍び込むように校内に入る生徒。だからこそ、香港の青年たちのように、若い人たちの理不尽な社会への心からの反発としての動きはこの地方でも約4年間ほど続いたでしょうか。今は、逆に小学校や保育園の幼い子ども達に先生が手をあげる、考えられないことが起きています。人権が守られていないと感じるこのごろです。

 昨日の読売新聞の子育て応援団大賞受賞の私たちのテーマは「不登校 学びに寄り添う」でした。

私は「寄り添う」の言葉が好きです。無理に引っ張るのはいけません。その人の心に添って、じっと傍にいるのが大切です。

 新聞の写真場所は、ゆずりはの森の中です。ゆずりはの森には、多くの「譲り葉」の樹が自生しています。学園を訪問される人々が「なぜゆずりは学園と名付けたのですか」と聞かれることが多いです。この「ゆずりは」は、小さな葉を大きな葉が雨、風から守り、十分に大きくなったら、静かに根本に落ち、今度は根の養分になって、その木を支え、いつまでも寄り添っています。

 母が子どもを見守り、十分に育って社会に出て行ったら、静かに見守り代を譲る樹が私達が想うことと同じでしたから、こう名付けました。

 来月の授賞式には、この学園を卒業して、名古屋大学に進学。社会に出て行って、今は外から私たちの活動を支えてくれている卒業生と、大阪の晴れの式に出かけます。

 今年1月、彼の結婚式に参加しました。私は彼とのつながりを「不登校」の言葉には出さないように祝辞を述べました。でも、彼が式の最後に出席者全員に「最後に私から話したいことがあります。僕は中学時代、不登校でした。学校に行けなくなって、家にいるようになって、もう自分の人生は終わったと思いました。沓名先生に出会わなかったら、今の今日の自分はなかったです」と、涙で言葉がつまりながら、言ってくれた時の感動は深く言葉には表せない瞬間でした。

 子どもの成長が何よりうれしい。生徒の笑顔が何よりうれしい。泣いている子ども達、苦しんで死にたいと言う青年や生徒が笑顔で明るく自分の道を進んでいく姿を見るのが何よりうれしい。

今回の授賞式に、その青年に会いたいと審査員の先生方が言われたとのこともうれしい。

 子ども達を守りながら、代を譲る日までもうあまり時間はありませんが。