私たちのゆずりは学園では、ゆずりは成人式を行っています。生徒たちの高校卒業の支援は出来ます。大学入学の支援も出来ます。でも、一人の卒業生を成人式の壁で、救うことが出来なかった悲しい出来事から、ゆずりは成人式をすることになったのです。

 「高校は卒業した。でも大学にも行きたくない。専門学校にも行きたくない。就職も出来ない。これ以上家族にも迷惑をかけることもいやだ」

 成人式の案内状が届いて間もなく、彼は自ら自分の命を終えました。卒業までは支援出来ました。卒業式の日「ありがとうございました」と晴れやかに笑顔で去って行った彼の姿を見ることは、もうありません。

子どもたちは、学校に行けない、行きたくても行けないと言います。行ったとしても小学校、中学校、楽しいものではなかったと言います。私たちは、せめて高校だけは「楽校」にしたいと頑張っているのですが、こうした成人式などの壁は、社会への大人への自立に、また参加出来ない人間という、大きな烙印のようなものだと感じます。

 今年も12日の日曜日、一般の地域で行われる成人式の午後、私たちの成人式を行いました。一人、また一人と鮮やかな振袖の着物を着たかわいい、きれいな成人が車から降りてきます。記念写真を撮り、いろいろな話をします。すると「中学の担任が中学の卒業式にも出なかったのに、成人式には出た奴がいる」と言われたと言いました。「名簿にも自分の名前がなかった」と言うのです。

 このようなことは絶対あってはいけないことです。高校を卒業し、今立派に働いています。それを認めることではなく、昔の傷を深める、それも社会への大きな参加の式に同級生の前で、放った暴言は、教育の現場の大きな問題です。

 生きることが辛い子どもたちがいます。本当に多くいます。相談に訪れる人が多くなりました。それも突然学園の駐車場に車が着くといったケースです。一人でもこうした子どもたちに寄り添う理解ある大人が欲しいのに、教育の現場にもっと真剣になってほしいと感じた成人式でした。