何かを創り出すことは難しいものです。それを簡単に出来る人がいます。「趣味だから」と言います。普通の定義とは一体何なのか、才能の定義とは一体何なのか、時々わからなくなるほど、優れた力を持っている人がいるのですが、ほめられること、認められることがうっとうしいと感じたり、自分のすることは当たり前の普通であり、ほめられることが「バカにしているのですか」といったように受け取られることがあります。自分に自信のない人がいます。多くの人がその人のことを認め、自分自身もそのことを認めると、つまり自分が自分を信じると、やっと自信につながることもあります。

 でも中には、そうした才能をどうしても認めない人がいます。一人の青年の場合、有名な雑誌の応募作品に、1位を取ることが出来ました。本当にすばらしい作品であり、そうした作品が日本一と認められたのですから、その世界を自分のこれからの道として、生きていくことが出来ると思いました。実際、その雑誌社からは、次の作品を作ってほしいとの依頼もありました。

 しかし、その青年は「いや、もうこれには興味がありません。一位を取ることが目的だったから。そして一位を取ったから、もう作ることに興味はありません」と言いました。

「高校を出ても、次の大学、専門学校に行く気はありません。かと言って、社会に出ることも出来ません。こんな自分は家族に迷惑をかけるだけです。」と言って、青年は自分だけの世界にいってしまいました。

人から、ほめられることは嬉しくなかったのかと思う反面、「一位を取りました」と嬉しそうに報告をしてくれたあの表情の奥に、どんな青年の真実があったのか、本音があったのか今はもう聞くことが出来ません。

 子ども達、青年の中にはこうした才能がありながら、その才能を十分に生かすこともなく、それは本当にすばらしいものなのに、認められても、ほめられてもうれしくなく、「一位」の賞状も飾ることでもない人がいます。社会で生きることは、本当に難しい課題になります。