もうかなり前になります。ある人から頼まれて、ゆずりは学園に一人の青年が来ました。長い時間をゆずりは学園の101室に泊まりながら、一緒に過ごしました。若い青年の力は、私たちにとって大きな支えになります。大学も出ています。また器用です。ゆずりはの森の整備作業も手伝ってくれました。突然、ゆずりは学園を出ていくと言いだし、引っ越ししていきました。「強くなって、またゆずりは学園に帰ってきます」と言って出ていきました。彼の作った屋根は、今もゆずりは学園の自販機を守ってくれています。

 その彼から、10年ぶりに電話があり、話したり、メールしたりする時間が何か月も続いています。今日も夕方「友達にいじられる」という電話がありました。この「生き辛い個性は、同級生とは合いません。年下か年上の方がいいですよ」と話しました。今日は、もうすぐフランスに行くという一人の企業家とゆずりは学園の寄付型自販機の担当の方とカウンセリングの人と、ちょうど時間が重なり、私にとっては、なかなか動けない状況でした。

 カウンセリングが終わり、自販機の方がウッドに向かうのが見えました。偶然ですが、もう一組のグループの方も見えて、パパさんが対応。生徒も帰る時間。今日はスタッフに田原駅まで送っていってもらうことにして、空に憧れ、社会貢献に体を空に預ける企業家と自販機の担当の方がウッドに座り、これからのゆずりは学園の方向性などについて話しました。

 その合間に青年とも話しました。

学園祭までの準備。9年前に骨折した右足の指が、こうした外仕事の準備の後は、痛みます。親指の上に乗ってしまう形での骨折でしたから、腫れて痛むこのような状態になるとあまり動けません。でもスタッフさんがいないときは、ゆずりはの森も案内する時もあります。

自分が動けないのは、本当に情けないです。左ひざの軟骨も調子が悪くなります。

 青年にメールをしました。私の方が支えてもらっているのです。

生き辛いという青年たち、子ども達。「生きていて何が楽しい?」と言って、私たちの潮風の電話にいる少女。どう支えていったらいいのか。「あなたはあなたのままでいい」と言って、その生き方を自分で自分を信じてくれると、自信になるのですが。

のんびり生きる人もいます。なるようになると言う人もいます。人を傷つけても平気の人もいます。やさしい人が苦しみます。真面目な人が苦しみます。中学3年の男子の遺書に第3者調査委員会が始まるそうです。やさしく、まじめな子どもが青年が苦しむのはつらいです。

どこまで私自身が彼らを支えられるのでしょうか。

自分で「被害妄想」と言っています。淋しがり屋の人が多いです。一言が気になります。気にしないでと言っても、気になります。

どこまで私が子ども達、青年を支えられるのか、いつも悩みます。

笑顔でゆずりは学園を出て、社会に出ていく姿を見るのがうれしいです。また苦しんで帰ってくる人もいます。パワハラもあります。また話します。今日も会社から電話がありました。正社員としての面接日の連絡です。高校生3年の進路相談も始まりました。一人ひとりが合う会社選びです。でもこれもまたすべてがうまくいくとは限りません。真面目な彼らの苦しみはそんなに簡単に軽くできません。電話だけだと難しいですね。メールだけだと難しいですね。でも遠くに住む人だと、なかなか時間が取れません。生き辛い人たちがいます。生きていてほしいといつも思います。6月も8月も苦しむ人が多いです。夏休みはつらいですね。他の人が楽しむときは、反対に辛い人がいます。