「本当は言いたくないけど、心配です。自分でできることはやりたいので、私も戦います。先生、力を貸してください」この同級生のメモは、活かされることなく、少年は命を絶ってしまいました。

 「蹴られたり、ジュースを吹きかけられたり、トイレで土下座させられたり、金銭を要求させられたり」といった情報が共有されなかったと言っても、担任が深刻に考えられなかったという大きな問題。もっと大きなものは、担任がメモを廃棄したということ。自分に都合が悪いと思ったのでしょうか。指導が足りないと言われるのを怖がったのでしょうか。生徒の死は防げたのです。きちんと指導し、きちんと子ども達に向き合っていたのなら。何を怖がり、何を恐れ、ただ自分の保身に走り、生徒のことなど考えなかった先生があったように思われます。

 メモの廃棄から、私たちは何を考えればいいのでしょうか。

虐待で死んだ生徒も「先生、どうにかなりませんか」と先生に助けを求めていたのに、反対に親に殺されることになってしまいました。

 子ども達にとって、先生は一番わかってくれるはずの大人であり、「先生」だったはずです。先生にいじめられて、不登校になる生徒は多いです。全部の先生がそうだとはもちろん違います。

でも、生徒、子ども達にとって、守ってくれるはずの先生が、味方ではなく、時に敵になる場合も多いのです。転校してくる生徒たちの言葉には、「先生が分かってくれた」というのは残念ながら少ないです。パワハラ、セクハラいろいろな問題ばかりです。会社でもいじめはあります。