文科省のフリースクールの会議に今月末、出かけます。14年前はフリースクールの言葉さえ、この私たちの住むところにはなく、法律用語とはなっていませんでした。いじめが深刻化した瑞浪事件も、加害者の生徒、学校関係者の言葉では「いじめ」判断は難しかったの判決が出たところです。学校関係側と保護者側の問題認識はいつも違うように思います。「いじめではなく、子供同士の遊びの範疇だと思った」といった言葉は多く聞かれます。
 御嶽山の噴火情報についても、「気象庁の判断に意見を差し込むことはないと、今までの基準を大切にして、レベルをひきあげなかった。山頂にあんなに人がいるのを知っていたら、レベルを上げたのだが、判断が甘かった」と言うコメントを出したのが、地震火山研究センターの教授です。地元の人にしか分からない微妙な変化はあるのです。データだけではつかめない現場の感です。
 私たちの学園の横には三河湾があります。海の方から風が吹く、山の方から風が吹く、地元の人たちは雨が近い、寒くなる、晴れる、天気予報の情報より正確に判断します。長い年月の中の自然との付き合い方です。そして正確です。
 判断にいたる経緯はあります。最終の判断は有識者の意見も聞いて、判断するという言葉もよく聞きます。説明会はわずかではあるけど、開催されます。しかしいつも結論は決まっているのが、日本流です。高浜原発の万が一の事故に備えての、ヨウ素剤の配布が行われました。飲んでも問題がない人だけに配布されました。原発事故のあの福島からまだ4年経っているだけなのに、原発は再開の方向に舵を進めています。また3歳未満児には、副作用もあるので、液状のヨウ素剤です。安全ではないのです。活断層の上にある原発も多分地震は起きないという判断がなされるのでしょうか。日本に処理能力もないのに、また太陽光での電力も可能なのに、「判断があまかった」の声がまた聞こえてくるように思います。
 いじめもまだまだなくなりません。先生の対応のまずさも、学校サイドのいじめです。指導との境も難しいです。判断基準マニュアルも難しいです。いじめ判断なんてできないのだと私は思います。フリースクールは必要です。不登校11万9617人の報告は悲しいです。