今日の中日新聞5面に掲載された栗原心愛さんの虐待死。社会部の北島記者の記事が載っています。

懲役16年が確定された父親との面会記事です。

その中で、父親が事件後、家族に宛てた手紙には、

「いつも思っていたんだ。父ちゃん、母ちゃんがオレたちにしてくれたような幸せな家庭をつくってあげるんだ!って」

 

北島記者も書いてみえるが、「理想の家族像は、誰しも抱くものだとも思う。・・ただ、自分でどうすることも出来ず、周囲に

助けを求められないまま孤立した時、その理想は呪縛となる。人を「悪魔」に変えてしまう芽は、遠い世界にではなく,私たちの

内に潜んでいる。」 

 

私は、我が子を虐待死する事件は、まだまだこれからもあると危惧しています。

 

多くの家族に向き合っています。子育てには、マニュアルはありません。男と女が出会い、結婚し、父となり母となります。

それぞれの違った家庭の中で、20年前後育ち生きてきた二人が、今度は自分たちが新しい家族を作ります。

 

お互いが話し合うことで、自分たちの家族が出来ていきます。しかし、そのどちらかが「これはこうあるべきだ」と言う強い思いが

あったら、一人はもう一人に従うしかありません。夫婦の中で、主人と奴隷が出来ていきます。

私は、多くの家族の中の虐待には、こうした背景も多いのではないかと思います。

 

こだわりの強い人たちがいます。「この家は俺が建てた」「文句があるなら、出ていけ」「この家の中では、俺が一番偉い」

「俺の意見が合っている。お前の意見は間違っている」・・・

 

遊園地に行っても、車の中で待つ父親。外食に行っても、子どもは残す、だから俺は頼まない。子どもが食べ終わるのを

じっと見ていて、子どもが食べ残すと、それから食べる父親。子どもは外食が嫌いだったと話します。

 

どこかで、それぞれの家族が「あたりまえ」の日常が理解されないまま、自分たちの家族を作っていきます。

 

「ふつう」とは何なのでしょうか。家族とは、どうあったらいいのでしょうか。