「加害者にも人権というものがあります」
「穏便に済ませてください」
「10人いるのです。1人のために、10人の将来が失われるのです」
「私たち教師が聞いても何も答えてくれない」
「保護者が乗り込んでくるのです。いじめていないと言ってます」
いじめはなくなりません。
「遊んでいると思っていました」
学校という閉鎖的な空間です。担任の先生以外に子どもは誰を信じたらいいのでしょう。
学校側の保身体質、隠蔽体質が日本中にはびこっている気がします。
まるで、鬼が住んでいる?その要塞は、高く、少しでも気を抜くと要塞の向こうから
槍が飛んでくるようです。
主役は子どもなのに、まるで何も言えない、本音が言えない世界です。
「精神科医は、学校現場を見ていないのに、すぐ診断名を付ける。子どもを見ているのは学校だ」
精神科医を間違いだと決めつけ、目の前のいじめを遊んでいると思っていた。
ここまで来ると、もう学校現場にまたその教育委員会に、どう説明、話し合いの機会を設けたらいいのでしょうか。
旭川中学生自殺、自殺した中学生が「学校が隠蔽している」との肉声が流されました。
新潟の燕市の中学生の遺書、校長先生はいじめを把握していなかったです。
ゆずりは学園の二年生の生徒が日本一。
学校は楽校であってほしいです。