この言葉は、もう10年以上前の、ゆずりは学園の機関誌に書かれています。一人の青年のこのような言葉が、新聞に掲載されていて、あまりの衝撃にその記事の文章を引用しました。

 このような悲しい言葉はありません。学校のいじめです。斉藤喜博先生が、「通知表のない学校」を追求されましたが、まだまだ日本の教育現場には、通知表が根強くあります。5は何パーセント、1は何パーセント。学校に行ってない生徒は、評価せずの文章が書かれています。

一人一人を大切にと言いながら、最後は評価せず。この生徒の良いところは何もなかったということ。小学校、中学校全部通して、評価せず。

 そんな中、東京の公立の中学校の一つ麹町中学校で、「宿題なし、中間テスト、期末テストなし、担任なし」という中学校の教育がニュースで流れていました。

実にすばらしい取り組みです。「子ども達を数字なんかで表してはいけない」という斉藤先生の考えと似ていて、テストで成績をつけるのではなく、どの単元を理解できたかを調べ、生徒一人一人に向かい合う一人の校長先生がいました。

 学校で、「自分がばかだった」ということを学んだという衝撃の言葉に、この日本の教育の大きな問題点を感じます。国会議員が秘書に対して「ばか」と言うニュースも今テレビなどで流れています。社会に役立つ、社会が必要としている人を育てていきたい、その人が一番輝く場所で、苦しむことなく、涙を流すことなく、その人がそのままの姿で、生きていく社会の中に出したいと思います。